第54話 『怪獣退治の専門家』 秋の昼下がり。 午前の授業を終え、悠里は束の間の休息に、コーヒーカップを傾けていた。 ファッション雑誌をめくる手を止め、悠里は準備室の隅に据えつけられた、小さなテレビの電源を入れる。 そう言えば、昨日はシャインの出動があったのだ。 ウルトラレディのバックアップをする者として、悠理は出動の翌日のニュースチェックを欠かさない。 シャイン達の戦いが、二次、三次被害を引き起こしていないかどうか。 万が一、そういったことがあれば、以後の戦いで同じことを繰り返さないように、指導をしなければならない。 怪獣を撃退することも大切だが、それ以上に、地球に住む住民の安全にも気を配らなければならない。 ティアナが、初めて地球で出動した時は大変だった。 街に被害が出ないように山間部へ誘い出したはいいが、鉄塔はなぎ倒すわ、送電線で怪獣の首を絞めるわで、電線はこれでもかというほど絡まり、その地域一体はしばらくの間、電力供給が完全にストップしてしまったのだ。 ティアナような例は別にしても、意外なことが深刻な二次被害をもたらすことは、充分に考えられる。 「まあ、昨日のはさくっと片付いたし、問題はないかしらね」 チャンネルを回すと、見慣れたニュースキャスターが画面に現れる。 懸念したような事態は、特には起こっていないようだ。まあ、そう何度も、そんな事態を起こされても困るのだが。 悠里はコーヒーを啜ると、テレビの電源を消そうと、リモコンに手を伸ばす。 「――本日は、怪獣を専門に研究されている、怪獣評論家の方にお越し頂いております」 怪獣評論家という聞き慣れない単語に、悠里はふと手を止めた。 ニュースキャスターの隣で、深々と頭を下げた髪の長い女性が顔を上げる。 「怪獣評論家の稲森いずみです。よろしくお願いしまーす」 悠里は盛大にコーヒーを吹いた。 「マザー? マザーですよね!? いーえ、嘘をついても分かります!」 電話の向こうで、そらとぼけるいずみに喰って掛かる悠里。 「参謀本部からは、保母というお話で伺っておりましたけど? 一体全体、どこをどう間違えば、保母が怪獣評論家になるんです?」 「えー、だってー…、やってみたかったんですものー、評論家」 唇を尖らせて、すねるいずみの顔が目に浮かぶようだ。 「あのですねぇ…」 悠里は隠そうともせずに、深いため息をつく。 「あ、でも、シルフィー。保母さんには間違いないのよ?」 「はい?」 怪訝な顔の悠里に、いずみは嬉しそうに言葉を続ける。 「だからぁー…、保母さんで怪獣評論家なの」 一瞬、本当に卒倒しかける。 「今日だって、ちゃーんと保育園にも許可を取って、テレビに出てるんだから。他の保母さん達も、みんな協力的で助かるわー♪」 悠里のこめかみに青筋が浮かぶ。 「マザー。私は今の今まで、我々が人間体で地球に潜入するのは、地球上で目立たぬように活動するのが目的だと、そう理解していたのですが?」 皮肉のように、わざと堅い言い回しで問い詰める。 「それはもちろんそうよー?」 まるで、緊張感のない声が返ってくる。 「私としては、怪獣評論家とやらと二足の草鞋を履く保母が、目立たない存在だというには、少々、無理があると考えるのですが!?」 辛抱強くなったものだと、我ながら感心する。 「あら、でも、怪獣研究が専門の怪獣評論家なら、怪獣関連の事件の情報を集めたり、事件現場に出向いても不自然ではないでしょ?」 「…まぁ、それはそうですね」 「でも、保育園はティア達の学校のすぐ側だしー……やっぱり子供って可愛いじゃなーい?」 「はい、ですから、保母で潜入するよう手配をしたのですが?」 「だからぁー…、間を取って、保母さんで怪獣評論家♪」 ぐったりと疲れて、その場に悠里はへたり込んだ。 「あ、ほら、次の番組の収録が始まっちゃう。じゃ、シルフィー、また後でねー」 「あ、ちょっと、マザー! まだお話はっ…」 ぷつっと電話が一方的に切られる。 ため息と共に、魂まで抜けていくようだった。 大体、怪獣評論家って何? 怪獣の何を評論するというの? ツッコミどころ満載の肩書きを、真剣に考えようとすること自体、思考にカビが生えかけている証拠だ。 考えてみても分かるはずもないので、そのうち、悠里は考えるのをやめた。 午後の授業の予鈴が鳴る。悠里はふらふらと立ち上がった。 この精神状態で、果たして午後の授業を乗り切ることができるのだろうか。 「ねぇ、アルファ。アタシ思うんだけど…」 「アルファじゃないでしょ、涼って呼びなさいって、何度言えば分かるの?」 爽やかな秋風の吹き抜ける廊下に、愛と涼以外の姿はなかった。 静けさの満ちた空間で、揺れる水面だけが、小さな音を立てる。 「あー、はいはい。でさ、涼。アタシ思うんだけどさ」 「…何よ」 むっとした顔で、愛の方に顔も向けずに、涼は返事を返す。 「んー、ちょーっと居眠りしただけで、廊下に立たせるなんて、先生、虫の居所でも悪かったのかなぁ?」 「あんたが居眠りの常習犯だからでしょ!?」 反省の色がない愛に、涼の眉が釣り上がる。 「いや、ほらさ。普通なら、チョークが二、三本飛んでくるくらいで済むじゃない?」 「知らないわよ、そんなこと!」 涼の両手のバケツが、ちゃぷちゃぷと音を立てて揺れる。 「大体、何であたしまで、あんたの連帯責任で、一緒に立たされなきゃならないのよ、このおばかー!!」 「たっはっは、いやー…面目ない」 さすがの愛も、これには苦笑いするしかない。 不意にバンッと恐ろしい勢いで教室の扉が開かれ、二人は揃って直立不動の体勢に戻る。 「ほほぉーぅ、廊下に立たされてもなお、仲良くおしゃべりとは、随分と元気があり余ってるわねぇー…?」 目をらんらんと光らせ、鎌首をもたげた大蛇のような、その悠里の形相に、まさしく蛇に睨まれた蛙のように、愛と涼は揃ってすくみ上がる。 「…いや、これは、そのぉ…」 「しゃぁぁぁらぁぁぁっぷ!!」 恐る恐る弁明しようとする二人を、切って捨てる悠里。 「そんなに元気があり余ってるなら、そのまま校庭十周してらっしゃい?」 「いや、あのぉ、謹んでご遠慮申し上げたくー…」 その瞬間、悠里が火を吹いた。 「Make it early!!(さっさと行けっ!!)」 「Yes,ma'am!!(はい、先生っ!!)」 弾かれたように走り出す。 ガシャガシャと金属のバケツのけたたましい音が廊下に響き渡る。 「ティアナッ、あんたが全っっ部、悪いんだからね、覚えてなさいよっ!?」 全力疾走しながら、涼は毒づいた。 「ちょっとタンマ、それはちょっと違うと思うな」 反論する愛に、涼は噛み付きそうな勢いで振り返る。 「何が違うってのよっ!!」 「そこはほら……」 愛がにやりと笑う。 「やっぱ、ティアナじゃなくて、愛って呼ばな…わぷっ!!」 一本取ったとばかりに、得意満面の愛の顔面に、涼のバケツの中身がぶち撒けられた。 −END− ■後書■ マザーの人間体の職業を考えた時、一発で保母さんが思い浮かびました。 なのですが、LADY以外のメンバーが全員、教育関係者というもの芸がないかな、と思い、思いついたのがこれでした。 何か、こう、変わったものにしたかったんですよぅ。 マザーって、確信犯的にいたずらしそうですよね。 振り回されるシルフィーは苦労してそうです。 作中のように、直接、ツッコんでも、のらりくらりかわされて。 その辺りのストレスは、さらに下の立場の者に、とばっちりという形で解消される訳なのですが。